今年は2回ほど食べたが、甘くておいしかった。高温少雨できっとよくできたのだろう。まだまだ暑そうだからもう一回くらい食べたいものだ。
果物屋やスーパーで、小玉のすいかがやたら目につくが、少子化、核家族を反映してよく売れているそうだ。確かに、大きなすいか丸々一個では持て余すかもしれないが、かといって小玉のすいかをちまちま食べても、夏の醍醐味は半減するのではないか。
半月型に切ったすいかを、口の周りべたべたにしながらかぶりつくのがすいかというものである。それが夏というものである。いくらライフスタイルが変わったからといって、季節の感じ方まで変えるというのはどうだろうか。
なんかこう、安易な考え方というか、思考の伴わない選択が増えているような気がする。尤も、年を追うごとに季節感がだんだんなくなってきているのは否めないが。
ついでにひとつ。すいかにまだ塩をかけて食べている方、もうそろそろおやめになったほうが。
投稿者: みかつう
加藤いづみ 「星になった涙」
人間の出会いもそうだが、音との出会いもまさに一期一会である。逃せばもう永遠に出会うことはない。加藤いづみとの出会いは、ふいに目覚めた朝の情報番組である。いつもなら昼近くまで起きているのに、その日はなぜか目が覚めてしまい、テレビをつけた。そこで歌っていたのが加藤いづみだった。
切ないメロディーと彼女の声が気に入って、そのままCDを買いに行った。全曲通してミディアムかスロー、悪く言えば暗い、ダウナー系のサウンドだったが、加藤いづみのアイデンティティがしっかりと音の中にあった。それは、プロデューサー高橋研の手腕でもあった。
中村あゆみをスターダムに押し上げ、数々のサウンドプロデュースを行ってきた彼なくしては、加藤いづみも存在し得なかっただろう。一時期、サウンドがポップに傾いたアルバムがあったが、やはり加藤いづみはダウナー系がいい。ご本人はとても明るくかわいい女性であるので誤解のないように。
情報収集で公式サイトに久々に立ち寄ったが、大きな瞳と丸い頬にぐさっとやられた。たぶん同じ歳だったと思うが、昔と全然変わらず実にかわいい女性である。
加藤いづみ 公式ウェブサイト http://www.katoizumi.com/
PCCA-00374 SEE・SAW 19920619
MATT BIANCO 「SAMBA IN YOUR CASA」
日産のティアナという車があるのだが、そのコマーシャルソングに、このアルバムに収録されている「What a fool beleaves」が使われている。ドゥービーブラザーズのカヴァー曲なのだが、オリジナルよりしっとり聴かせてくれる。マットビアンコらしくないといえばそうだが、ノリノリな曲ばかりではないのも間口の広さを窺わせる。
このアルバムを買ったのは、トップチューンの「You're the rhythm」のビデオを観てから。まだヒップホップがミュージックシーンを席巻する前、ダンスミュージックと言えばユーロビートだった頃だ。
ラテン系のフレーヴァーを取り入れたサウンドは、今やマットビアンコというジャンルを作り上げてしまった。口にするのは気が引けるが、お洒落なソウルサウンドという触れ込みで、息の長い人気を誇っている。
日本にもよくツアーで来日するが、大阪ミナミのクラブに毎回お忍びでやってくるのは本当らしい。私はそんなキャラクターじゃないので、指をくわえて「へえ」と言うしかないが。
今、最新の情報をググったら、顎がはずれた。なんと、オリジナルメンバーが復活している。そう、あのバーシアもだ。詳しくはリンク先を見ていただきたい。あーびっくりした。
マットビアンコ 公式ウェブサイト http://www.emarcy.com/bianco/
WMC5-447 WEA 19911128
史上最悪のお笑い番組「エンタの神様」がヤフーのニュースにあったので
捨て置こうとも思ったが、少し触れておく。以下、記事。
プロデューサーに聞く「エンタの神様」好調の秘密
若手お笑い芸人ブームといわれるなか長井秀和(34)、はなわ(28)、青木さやか(31)、友近(31)らが育った日本テレビ系「エンタの神様」(土曜午後10時)が好調だ。プロデューサーで、数々のヒット番組を送り出してきた五味一男氏(48)に舞台裏を聞いた。
「投稿!特報王国」「マジカル頭脳パワー!!」などのヒットバラエティーで知られる五味氏が手がけ、昨年4月にスタートした「エンタ…」。当初は歌+芸のコンセプトだったが、その後、毎回約10組の芸人が登場し、次々とネタを披露するだけの形態に。これが土曜夜の激戦区で平均視聴率15%という人気ぶり。
まさに芸人のネタが勝負の番組だけに、出演者の選考も真剣。五味氏は毎回、お笑いライブなどのテープ100-300本をチェック。目についた芸人も約半年育ててから出演させるという。
この間、「選んだ芸人にただ時間を与えてネタをやらせるだけということはしない。全国区で分かりやすい笑いになるように、一緒に笑いを作っていく」と、登竜門ならではのマンツーマン。
また、「コンビの場合は、メジャーでないと『どこの2人が話してるんだ?』と視聴者も感情移入できないが、“ピン(一人)芸人”はメッセージを送る相手(客)が明確で、見る方も“ツッコミ視線”で見られるから」と、ピン芸人が多いのも特徴で、ブームを後押ししている。
現在、番組では“ギター侍”こと波田陽区(29)がイチ押しだが、五味氏は「今後、新しいスタイルのお笑いもお見せできるでしょう」と次なる芸人の発掘、ブレークにも自信を見せた。
(夕刊フジ) – 8月21日13時4分更新
という記事である。
まず訂正。友近はこの番組で育っていない。友近を育てたのはバッファロー吾郎である。それに、テレビで芸人は育たない。芸人を育てるのは舞台であり、客である。
さて、「エンタの神様」が高視聴率なのは、番組の内容以外に裏番組の影響もある。TBS系は「ブロードキャスター」、フジ系は映画、テレ朝は「土曜ワイド劇場」と、二時間ぶち抜きものが二つもある。それに若者の見る番組がない。土曜の夜とはいえ、遊びに行く若者ばかりではない。家でテレビを見ているのもいるだろう。加えて、前の番組はジャニーズ系やハロプロ系のタレントが出ているドラマがある。ぶら下がり効果は絶大だ。そこに、「エンタの神様」はうまく付け込んだ。
”芸人のネタが勝負”とあるが、テロップで邪魔(援護か?)している限りはネタで勝負とは言えない。ネタで勝負するならテロップをやめよ。それとも、テロップもネタの一つか。五味氏の芸人選びはプロデューサーとして当然の仕事である。別段書き立てることでもない。
”全国区で分かりやすい笑い”と来たか。まさに東京キー局の考えそうなことだ。あいつらは、全国に同じような人間が住んでると思ってる。これこそ私が危惧している感性の画一化である。服や色に流行があるのも、そのほうが作りやすいし売りやすいからである。送り手の都合のいいように事は運ぶようになっている。一億総白痴化は、相当進んでいるようだ。
次のセリフが一番引っかかった。
「コンビの場合は、メジャーでないと『どこの2人が話してるんだ?』と視聴者も感情移入できないが、“ピン(一人)芸人”はメッセージを送る相手(客)が明確で、見る方も“ツッコミ視線”で見られるから」
視聴者のみなさん、バカにされてますよ。どっちが喋ってるかわからんやろってさ。つまりこれは、同じ無名で腕のない芸人なら、コンビよりピンのほうが扱いやすい、ということである。とても本気でお笑い芸人を育てているようには思えない。ピン芸人なら、なぜ落語をしない。落語はまさに客と1対1だ。落語では数字は取れんか。明らかにテレビ用の芸人を生産しようとしている番組の姿勢が窺える。いっそ、視聴率を重視して何が悪い、と開き直って欲しい。
批判記事を書き始めて、スタッフの考えを知りたいと思っていたのだが、タイミングよくこの記事を見つけた。しかし、番組をろくに見ないで批判するのもなんなので、来週あたり我慢してちゃんと見てみようと思う。最後まで見通せるか自信はないが、他の番組では見かけないギター侍も見てみたい。
じゃ、また来週(笑
ショートカット症候群
「アパートの鍵貸します」という映画がある。名匠ビリー・ワイルダーが、ジャック・レモン扮する平凡なサラリーマンの悲哀を描いた作品だ。この映画のヒロインであるシャーリー・マクレーンに、当時の私はぞっこんだった。当時といっても高校生だったが。
初めて観たときに、なんてかわいい女性なんだろうと思った。ルックスももちろんそうだが、男に甘えるでもなく、媚びるでもない、しっかりと芯の通った性格で、攻めどころがないかと思えば、ある一点が非常にもろかったりする。単純に、ああこんな女の人いいなあと高校生ながらに感じたものだ。
べたべたと甘えて欲しくないけど、二人でテレビでも観ているときは、ソファにぴったりくっついて座っている。大人になったらそんな恋愛をしてみたいなと、この映画を観ると今でもちょっとドキドキしてしまう。
ジーン・セバーグは、もっとストレートだった。ゴダールの「勝手にしやがれ」を観たのは大学に入ってからだった。美しいという形容と、可愛いという形容が二つとも存在するのが彼女である。実に多面的な魅力を持った女性である。
ゴダールでなければ、ああはならなかっただろう。おとぎ話のヒロインに、ジーン・セバーグは務まらない。内面よりも外面から受ける印象を描いたからこそ、ジーン・セバーグの魅力は、ストレートに私へ飛び込んできた。女友達には最高の女性である。
ジュリエット・ビノシュに至っては、盲目である。問答無用である。「汚れた血」の眠そうな目がたまらない。100%の女の子がそこにいたのだ。だがあまりに理想過ぎて、存在としては遠い憧れのようになってしまった。たぶん現実には永遠にお目にかかることができない女性像だろう。
女性の魅力が髪型一つで決まるわけはないが、彼女達がロングヘアだったなら、事象が成立しなかったのは然りである。こんなことを書いておきながら、最近は柴崎コウもいいなあと思っている私であった。
史上最悪のお笑い番組「エンタの神様」 その2
いろいろとネットで調べていると、大半が批判的な記事であった。にもかかわらず、放送は続く。なぜか。視聴率がいいからである。
私が憤慨しているのはテロップであり、ネタぶち切りであって、出ている若手芸人には一切の非はない。彼らはむしろ被害者だ。ああいうネタ見せ番組は彼らのために必要であるが、それはオンエアバトルのように切磋琢磨の場でなければならない。
ではなぜテロップがだめなのか。
テレビは実に便利である。野球も観られるし、オリンピックも観られる。もちろん、現地で観戦するに越したことはないが、それほどみんなヒマじゃないしお金もない。
こんな話がある。念願叶って初めて野球の試合を球場で観た人が、何か物足りないことに気づいた。そう、実況である。球場に実況は流れない。歓声とバットにボールが当たる音が響くだけだ。ずっとテレビばかり観ていたせいで、本物の良さが感じられないのだ。
エンタの神様の視聴者層は、局が想定していたよりずっと若く、ほとんどが十代である。テロップでガチガチに演出されたお笑いを観て育った視聴者が、実際に舞台でお笑いを観てどう思うだろうか。
「テロップがない」
若く腕のない芸人で視聴率を取ろうとすれば、そのままネタを流していては到底無理である。芸人のためにネタを繰り、テロップでフォローし、継続した出演で露出度を高める。
つまり、若手芸人を芸人としてでなく、視聴率のための一部品として扱っているのだ。オンエアバトルでオンエアされなかった芸人のネタを、おもしろおかしく演出して流すような、エンタの神様がやっていることは、まさにそういうことである。
ネタを面白くしてやっている、放送してやっている、出演させてやっている。芸人を芸人として扱わない、このテレビの傲慢さに私は憤慨している。スタッフやスポンサーも含めてだ。
そこに前回言及した、お笑いに対するスタンスが関係してくる。日常からお笑いに接している関西人は、お笑いに対して厳しい反面、芸人を尊敬している。もしエンタの神様のスタッフに関西人がいたら、遺伝子が拒否するはずである。
確か東京にも、落語や漫才などで大師匠がおられたはずだ。芸能や大衆文化に対する畏敬の念は、それほど薄かったのか。それとも、やはり君たち都会人は、感性や個性を持ち合わせない烏合の衆なのか。
レベルの低いテレビ向けのお笑い芸人を養成し、自分達のいい様に使い回し、挙句の果てに使い捨てる。かつて、野球を知らない人々に巨人軍を押し付けたように、笑いを知らない人々に稚拙な笑いを押し付けているのが、エンタの神様である。
番組が改善、あるいは終了するまで、批判は続けていく。我々は真摯に危機感を持たなければならない。
お笑いと芝居
お笑い芸人といえども、人を笑わすことばかりがスキルではない。芝居のスキルもかなり重要になってくる。得てして、お笑い芸人でも役者紛いの芝居をする連中はたくさんいる。大阪の芸人が芸に厚いのも、ベースにしっかりとした芝居や演技のスキルが叩き込まれているからである。
漫才はまだしも、コントは完全に芝居である。新喜劇も、ちゃんとした芝居の上に、ギャグやおかしみをペーストしている。まず芝居ができて、それから笑いである。返して言えば、芝居心のない芸人は、いくら精進しても大成しない。
雨上がり決死隊の宮迫がNHKの大河ドラマに出るという話を聞いたとき、そこそこ芝居もできるから選ばれても不思議ではないな、という感覚で捉えていたところ、なんと彼の役どころは主役と堂々と絡んで立ち振る舞う、とても重要な役だったのだ。これにはさすがに私も驚いた。その後、彼は数々のドラマや映画に出演し、俳優としての才能も開花させている。
もちろん、中には芝居が不得手の芸人もいるが、それはそれで構わない。お笑いに特化してスキルを伸ばすのも芸人としては重要だ。しかし、自分の芸を広げていく上では、やはり芝居や演技は無視できないだろう。それは、才能でなく、努力でどうにかなるものなので、精進すれば笑いの神とも戦える日がきっとやってくるだろう。
「舞台は戦場や」明石家さんま