今頃彼女について記事を書くことになって、少し反省している。当時アニメオタク絶好調だった私が、初めて部屋にポスターを貼った人であり、初めてコンサートに行った人なのだ。だが、坂本龍一プロデュースでなかったら、このアルバムを買っていたかどうかは少々疑問である。
ガチガチのテクノアレンジではあるが、彼女のキュートな歌声を邪魔することなく、世界観を作り上げているのはさすがである。何百回とレコードに針を落としたが、もちろん今でも聴ける曲ばかりである。
ただ、よく言われることで私もそうなのだが、飯島真理の音、というのはとうとう見つけられなかった。もちろん、彼女はシンガーソングライターなのだが、曲にそれほど特長がなく、奥田民生や小西康陽のように誰が歌っても作曲者がわかるようなサウンドではなかった。
だが、その声は飯島真理以外の何物でもない。十年二十年経っても、彼女の声の魅力は色褪せることはない。それが逆に、コンポーザーとしての飯島真理を隠してしまったのかもしれない。
アメリカ人音楽プロデューサーと結婚してロスに永住、二児をもうけるが離婚。現在もロスで活動中であり、最新アルバムが発売されたばかりである。日本での入手は難しそうなのだが、機会があれば聴いてみたい。
飯島真理 公式ウェブサイト(英語) http://www.marimusic.com/
SJX-30207 Victor 1983
投稿者: みかつう
芋ようかん
このブログを一通りお読みになった方はわかると思うが、私は多分にして東京にいいイメージを持っていない。関西人の悪い癖だとは思うが、そう思わせる何かが東京にもあるのもまた事実である。しかしそんな私が、100%平身低頭する食べ物が東京にある。浅草舟和の芋ようかんである。
誰のお土産かは忘れたが、それが我が家に来たとき、一口食べてそのおいしさに感動すら覚えた。私と妹で瞬く間にそれは無くなり、最後の一本をいい歳をした二人がケンカするほど争って食べた。
芋ようかんと名は付いているが、ようかんらしいのはその形だけである。さつまいもと砂糖だけで作られ、自然の甘みが活かされている。
土産物というのは、往々にしてそれほどおいしくないものである。おいしいと思うのは、土産というシチュエーションがそうさせるのであって、毎日食べればきっと飽きるはずだ。だが芋ようかんはきっと違うだろう。あの素朴な味は、毎日でもたぶん飽きないと思う。というか、飽きるほど食べてみたい。
こちらでは通販しか入手手段がないので、私への東京土産はぜひ芋ようかんを。
アンナ・バナナ 「High Dive」
NHKのみんなのうたはみなさんもご存知かと思う。私は「北風小僧の寒太郎」が大好きなのだが、なぜかあの歌を聴くと涙がこみ上げてくる。悲しいわけでもないのだが、楽しい歌の中にもどこか冬の物悲しさや、郷愁が隠れているのだろう。マチャアキもいいが、やはりあの歌はサブちゃんバージョンがいい。
アンナ・バナナも、初めて聴いたのはみんなのうたである。「smile」という曲が耳に残り、CD屋でアルバムを手に取ると、田島貴男がプロデュースしているとある。ピチカート時代から、曲調は好きだがどうも男ヴォーカルなのが引っ掛かっていて、女性ヴォーカルの田島貴男の曲が聴きたいと思っていたところだった。
夏をテーマにしたサウンドは、それらしく作り込んであるものの、ストレートなイメージは感じられない。海は近くにあるんだけど見えない、しかし確かに今は夏、みたいな感じに仕上がっている。
アンナ・バナナのヴォーカルは、夏の空気感だけをたっぷりと含んで、田島の曲を歌い上げている。これがもし田島自身のヴォーカルなら、じとっと汗がにじむところだ。まさに「High Dive」。水飛沫が顔に跳ねるようなサウンドである。
よく晴れた夏の日、オープンカーで海沿いの道を走りながら、また来年にでも聴いていただきたい。
SXCR-604 SIXTY 19930623
安田大サーカス
正直なところ、意外とよくもってるので驚いている。あれだけ完全に出オチの芸人も珍しい。だがプロフィールを調べてみると、今年のABCの審査員特別賞を獲っていた。もしかすると、もしかするかもしれない。
立ち位置下手から、元相撲取りだったというHIRO。上手、見た目はスキンヘッドの極悪人、喋れば超ソプラノ声のクロちゃん。中央、癖のありすぎるメンバーをまとめる大変さがしみじみ伝わる団長。やっぱり出オチ芸人である。
私は散々、芸人は舞台が本分と言ってきたが、彼らはテレビ向きの芸人だと言える。あまりにキャラクターが濃過ぎてイメージが固定され、舞台でネタを繰ってもそれほど広がらないだろう。あれだけ濃いと、ネタのマンネリはすぐに飽きられる。
舞台より自由に振る舞えるバラエティ番組のほうが安田大サーカスを活かせると思うが、いかんせん、それをやろうとなると、今度はメンバー個人の力量が問われる。
引き合いに出して申し訳ないが、ダチョウ倶楽部の上島が今一つ伸びないのも、彼のアドリブのなさが足を引っ張っている。テレビで活躍しようとすれば、シュアな芸を要求される舞台と違って、臨機応変な俊敏さが問われるのだ。
それには、場の空気を読む力や流れを見る力、他の芸人との絡み方など、舞台とは違ったスキルが必要となり、とても一筋縄ではいかないだろう。
安田大サーカスに可能性を引き出せる容量がどれだけあるかはわからないが、ここまで来れたのだからこれからも頑張ってほしい。
かの香織 「裸であいましょう」
守口にいたころ、FM大阪にせっせとリクエストを送っていた時期があった。毎日送るもんだから、ほぼ毎日紹介され、たまに曲もかけてもらえた。akikoの「crazy about you」をFM大阪で最初にかけさせたのは私のリクエストである。
その頃ハマっていたのがかの香織であった。
ショコラータのヴォーカルとしてデビュー、解散後ソロとして活動し、FM局で注目を浴びる。私もその一翼を担っている、ということにしておきたい。
なんといってもその魅力は声である。歌声もさることながら、話し声も非常に魅力的である。官能的とまではいかないが、やや鼻にかかった感じで、破裂音と摩擦音のアクセントがきれいに整っている。故に、CDでは邪魔者扱いされているリップノイズやブレスノイズを活かした生身のヴォーカルを聴くことができる。
アルバムの楽曲も、ヴォーカルを前面に出したものが多く、かの香織の魅力満載の一枚と言えるだろう。
年内に久々のアルバムが発売予定である。
かの香織 公式ウェブサイト http://www.caolina.net/
SRCL3301 SONY 19950901
THE PLAN9
既に関西ではコアな人気を博しているプラン9。コントだけかと思ったら、どうも漫才も本腰を入れてやっているようだ。かつて、電車道という4人漫才がいたが、5人は恐らく史上初めてであろう。
プラン9は、メンバー全員がコンビ解散を経験している。おーい!久馬(シェイクダウン)、鈴木つかさ(シンドバッド)、浅越ゴエ(デモしかし)、灘儀武(スミス夫人)、ヤナギブソン(君と僕)。夢を捨てきれない芸人達の吹きだまり、と言ったら失礼だろうか。
コントでは既に定評を得ているプラン9だが、5人漫才となるといろいろと問題点や課題も出てくる。先日、「松紳」でネタを披露したとき、紳介師匠が開口一番「スピード感がない」と言った。松本さんは「5人でやる必要性を問う」と言った。さすがはお笑い界のゼウスとアポロンである。
プラン9は漫才をするとき、ツッコミ1人、ボケ4人という体制になる。センターにツッコミがいて、両サイドに2人ずつ、それぞれのボケにツッコむのだが、漫才といっても所詮は会話である。複数が同時に喋れるわけもなく、どうしても3人あぶれてしまう。そこがスピード感の喪失につながっているのである。
紳介師匠は、それをレースのピット作業になぞらえた。ピット作業は、マシンに触れることのできるクルーが3人(恐らく鈴鹿8耐の場合だろう)までと限られている。ピットクルーは7、8人いるが、実際の作業は3人しかできない。が、まるで全員が一斉に作業しているように見えるという。
つまり、喋れるのは2人だけだが、それを全員が喋っているように見えるスピード感が欲しい、ということなのだろう。
しかし、ここで私はふと思った。もし舞台上で5人がそのようなスピードで漫才をすると、たぶん客はついてこれないのではないかと。
5人は舞台上で横一列に並ぶ。すると客は、5人の動きに注意しなければならない。全員視界には入るだろうが、一人一人の動きを全て把握するのは無理だろう。そうすると、客の見ていないところでネタが進む可能性があり、これは非常に危険である。
ピット作業は、タイヤ交換を見ていて給油が見えなくても構わないが、漫才のネタはそうはいかない。右に気を取られている間に、左のフリが見えなくて真ん中のオチがわからなかった、では漫才として成立しない。
たぶん、メンバーもテンポの悪さは実感していると思うが、テンポを上げれば客にわかりにくくなる、客にわかるようにすればテンポが鈍る。そうまでして5人でやる必要があるかといえば、確かに疑問が残る。
現状では、ネタはよく練られていて非常に優れており、5人である必要性を感じさせるものとなっているが、絶対的な必要性があるかといえば、そうでもない。しかしそれはプラン9が5人だから5人漫才、という有無を言わさぬ存在価値を見いだせれば、それはそれで彼らの勝利である。
5人漫才という未知の領域に踏み込んだプラン9。やっぱりあかんわ、と得意のコントに逃げても私は寛容するが、できればこの未知の領域を制覇して、新たな金字塔を打ち立ててもらいたい。期待している。
サバンナ
最近全国ネットでネタを観る機会が増えてきた。私も好きな芸人の一つなので、この辺で触れておきたい。
八木真澄と高橋茂雄の二人は、立命館大学空手部の先輩後輩にあたる。吉本の若手では珍しく、NSC出身ではない。94年に結成し、97年にはABCの優秀新人賞を獲得、2丁目劇場終期に頭角を現した。
ツッコミの八木は、顔がトミーズ雅に非常によく似ていて、なかやまきんに君に負けず劣らず筋肉バカである。かなりの天然キャラで、その逸話は枚挙にいとまがない。「おぇ!」というツッコミをよくする。
ボケの高橋は、作家肌でシュールなボケが多い。ネタはきっちり組まれていて、シュールな中にも整然とした印象さえある。八木より後輩だが、今は立場的にも同等だろう。
芸人受けする芸人でもあり、非常に仲間が多い。NSCではないのだが、同時期に2丁目などで活躍していた芸人達とも交流が深い。
ネタはコント形式がほとんどで、立ち漫才はほとんどない。高橋のボケに八木がツッコむというのは当たり前だが、高橋のボケがとんでもない方向から飛んでくる。
言葉のボケというのは、正当なものに対して奇異なものをかぶせるわけで、普通は観る方もある程度ボケを予測できるものである。しかし高橋のボケは、予測もつかないあさっての方向からびゅんと飛んでくるわけで、こういうボケは的確なツッコミをしないとボケを活かせないまま終わってしまう。高橋を侍ジャイアンツの番場蛮と例えるなら、八木はキャッチャーの八幡だと言えるだろう。
東京で天下を獲れるような器はないかもしれないが、大阪芸人の底の厚さを存分に見せつけてもらいたいものだ。