10年

もう10年、まだ10年。やはりそんな声があちこちから聞こえてくる。
阪神淡路のときも聞いた。
所詮、直接の被災者でなければ他人事だ。
明日は我が身。
南海トラフから10年、なんて日も近い。
職場のチャットで全く反応がなかったのがかなりショックだった。
誰一人話題にもしない。
ま、そんなもんか。

3.11 2nd

仕事が忙しく、気が付くと時計は3時を回っていた。
帰宅後、食事の前にとりあえず手を合わせた。
私は今日もこうやってご飯を食べられることに感謝します、と。
早いような長いような二年。
しかし、問題は何一つ解決していない。
原発、防災、復興。
もたもたしていると、次の震災がやってくる。
冗談ではなく。

あれから一年

まだあの妙な感覚を憶えている。
鴨川の河川敷を歩いていた私は、着地した足が揺さぶられるような気がした。
地に付けた足がぐーっと左右に引っ張られる。
周りは別段変わった様子もないので、とうとう身体にガタがきたかと帰宅しておかんの第一声。慌ててテレビをつける。
あれからもう一年が過ぎた。
阪神のとき、人間生きていて一度はこんな酷い震災に遭うのかと思っていたら、四半世紀も経たぬうちに二度までも。
この一年でわかったことは、この国は地震が多いということ。そんな国に原子力発電は性に合わないということ。
政治は何もしないということ。政治家は無能な連中のほうが多いということ。
しかし、日本人はまだまだ捨てたもんじゃないということ。
行方不明者の一刻も早い発見と、一日も早い被災地の復興を、通り一遍の言葉で申し訳ないが、心からお祈り申し上げる。

東日本大震災一ヶ月

最近、また立て続けに大きな余震に見舞われている。余震とはいえM7とは信じがたい規模だ。
死者不明者は二万人以上、依然として多くの被災者が不自由な生活を強いられ、復興もままならない。
そして、原発だ。政府発表の内容を信じれば、事態は沈静化しているように思えるが、放射性物質拡散の危険性は未だ高いままだ。
今日明日で解決できる問題ではもちろんない。ゆっくりと時間をかけて一つ一つ事に当たっていくほかはないと思うが、そう悠長なことも言ってられない。
阪神淡路大震災の際、ガレキに埋もれた街並みを歩きながら、私はこの世の終わりを垣間見たような心境に陥ったが、まさか生きている間にもう一度同じような気持ちになろうとは。
一日も早い復興を願うとともに、恐らくまた襲ってくるであろう次の災害に対して、この国は総力を挙げて対処していかねばならない。