姪が口を開けばトトロ見せろ、アンパンマン見せろとうるさい。
めんどくさいので撮り貯めている「志村軒」を見せていたところ、トトロよりアンパンマンより見せろと言ってくるようになった。
もちろん、姪はドリフなど知らないし、向こうの家でも番組は見てないという。
激ハマリである。
笑いの構図としては、志村さんの笑いはそう複雑ではない。それが長く続いている秘訣だとは思っていたが、具体的に実感するものはなかった。
そういうことなのだ。つまり、ドリフの笑いというのは、何の予備知識もない子供にすんなり浸透するベーシックな笑いだったのだ。
毎日食べて飽きないご飯のように、味付けで千変万化する笑いなのだ。
ドリフ恐るべし。
先刻、その姪が急にパジャマの肩をはだけた。何をしているのかと思ったら、森下悠里ちゃんの真似をしていたのだ。
「写真撮って」というから撮ってやろうとしたら恥ずかしがったので、なんか淫靡な写真になってしまった。
よって掲載は見送る。
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節分の鬼に泣く子供
節分だ。幼稚園に鬼がやってきて、子供たちが豆をまいている映像がテレビで流れた。
その鬼が妙にリアルで、子供たちがわんわん泣きながら豆をぶつけている。
番組に出ていたタレントから、かわいそうだという声が聞こえた。
確かにそうかもしれない。傍目に見れば、鬼で脅かしているようなものだ。
しかし、それこそが現代社会に必要なのではないだろうかと、最近特に思う。
近年、節分のような伝統的な行事に関心が薄れている。子供たちが精神的に不安定であったり、成長しないのは、情操教育の欠如が原因であると思うのだ。
かつてそれを担っていたのが、節分のような伝統的、宗教的な行事であり、そういう行事に触れることが少なくなったことで、子供たちがおかしくなっていったのではないだろうか。
そこには、地域との結びつきや、近所付き合いの有無などの複合要素も関わり、代替手段を模索せぬまま、今に至ってしまったことも要因の一つだろう。
大人たちの勝手な思惑で、いろんなものを失って育った子供たちが今、その大人たちに復讐している、ように思えてならない。