ザ・警察官2全国大追跡スペシャル

ガンシューティングゲームは見つけ次第片っ端からプレイしているが、このザ・警察官シリーズはどうしてもプレイする勇気が出なかった。この筐体は、センサーでプレイヤーの位置を感知し、それに連動するような形でステージが動く。つまり、筐体でバリケードポジションを作るのではなく、己の身体を動かして隠れるのである。つまり、端から見ればかなり奇異なプレイスタイルに見えるのだ。早い話が、恥ずかしいのである。
先日、その筋の友人と会う機会があって、ゲームセンターをうろうろしていたときにこのゲームを見つけたので、とりあえずやってみた。
スタンディングでシューティングポジションを取るが、そのままでは撃たれてしまうので腰を屈めて隠れる。身を起こすと容赦なく撃ってくるのでまた隠れる。気がつくと、ずっと中腰で撃っていた。
3ステージくらいでゲームオーバーになってしまったが、ずっと中腰なので太腿に激痛が走った。これはきつい。ちゃんと立って撃たせてくれない。プレイ中は、かなり激しく動くことになる。確かにコンシューマゲームでは味わえない醍醐味だが、さすがにこのゲームはきつかった。
ギミックとしては、非常に面白い。プレイヤーの位置によってステージの描画が変化するので、ボタンを押すだけのゲームとは一味違う面白さがあった。他のゲームにも応用できればいいと思う。
ゲームのナレーションも、テレビの特集番組でおなじみの声優(たぶん小林清志)を起用するなど、遊びやこだわりも見られる。
筐体のハード性能に天井が見えてきた今、アーケードゲームはアイデアが命である。ガンシューティングゲームもいろいろと発展してきたが、これからどんなゲームが出てくるのか楽しみである。

とりあえずベストゲーム

テレビゲーム黎明期に育った我々は、まさにその歴史とともに歩んだとも言える。インベーダー、ファミコン、プレイステーションと数々のゲームをこなしてきているだけに、造詣も思い入れも深い。新カテゴリー設置に伴い、とりあえずベストゲームを三つだけ挙げてみよう。
まずは、国産RPGの最高峰、ドラゴンクエスト(以下DQ)である。今から考えるとシナリオも一本調子だし、グラフィックも美麗とまではいかないが、日本にロールプレイングゲームを根付かせた貢献は賞賛に値する。何より、私も大ハマりしたうちの一人である。
エニックスとチュンソフトが制作したDQは、アクションやシューティングが中心のゲームソフトに、新たにRPGというカテゴリーを打ち立て、瞬く間にそれはゲームの中心的存在にまで発展した。当然、他のいろんなRPGが発売されたが、練り込まれたシナリオとゲームバランスは、他の追随を許さなかった。そして唯一対抗し得たのが、スクウェアのファイナルファンタジーシリーズである。しかしまさか、その二つのソフト会社が合併しようとは、正直夢にも思わなかった。
現在、最新作のDQ8が発売されているが、もしかすると古いゲーマーの中には「あれはDQじゃない」と思っている方もいるだろう。私もそのうちの一人である。
次は、ゼルダの伝説である。ファミコンのディスクシステムソフト(以下FDS)として開発された。FDSはファミコンのロムカートリッジに比べ、容量やサウンドエンジンが強化されている。何より、ゲームデータのセーブロードが相当便利になった。もうあの謎の呪文をメモする必要がなくなったのだ。加えて、ディスクをソフトごと書き換えることによって、新しいゲームがプレイできる。任天堂の新たな試みであった。
ゼルダの伝説は、アクションロールプレイングという形式をとる。前述のDQがコマンドロールプレイングというプレイヤーがキャラクターを動作するコマンドを選択してプレイするのに対して、アクションロールプレイングは、キャラクターを直接操作する従来のアクションゲームに、RPG的な成長要素を加えたものである。
スーマリ的なアクション要素に、プレイを重ねるたびにキャラが強くなるというRPG要素、加えて、エンディング後に始まる裏面や、ダンジョンの隠し扉や隠しアイテムなど、今までのゲームになかった奥行きと懐の深さがゲーマーを熱中させた。現在に至って数々の続編がつくられたが、やはりオリジナルのゼルダの伝説が一番である。
最後は、私がこの二十年ベストワンに挙げ続けているメトロイドである。
メトロイドもRPG的な要素があるが、基本的にはアクションゲームである。サイドビュー、迷路のようなダンジョンで、敵やパワーアップアイテムを探しつつ、最終ボスを目指す。アクションは、難易度のバランスをとるのが難しい。楽過ぎてはつまらないし、難し過ぎてもつまらない。メトロイドは、そのゲームバランスに優れたゲームである。
大ボスを倒しての大脱出(あれは焦った)、メトロイドの浮遊感とミサイルを撃ち込んだときのエフェクト、プレイヤーキャラクターの様々な攻撃アクション、スーマリを彷彿とさせるステージング。まさにシューティングアクションの最高峰である。
グラフィックが優れているものだけがいいゲームソフトとは限らない。プレイヤーを如何にゲームの世界に引きずり込むか、それは動きがスムーズなムービーでも何万色表示できるグラフィックでもない。ボタンを押してキャラが動く、プレイヤーとキャラクターの同化。この一語に尽きるのである。

ウルティマオンライン

PCを買い替えるときに、せっかくだからというのもあったが、何かオンラインゲームでもやってみようと考えた。他にも選択肢はあったが、私は迷うことなくウルティマオンラインを選んだ。PCが配達されてくるというその日に買いに行った。
自由度の高いゲームは、日本人は苦手である。斯く言う私は、それを望みながらもいざプレイしてみると、何をしていいやら全くわからず、チュートリアルをこなした後はしばらく辺りをさまよっていた。ゲーム慣れしているとはいえ、ウルティマオンラインはやはり何か違うものがあった。
キャラを育てるのがRPGの王道である。ここはまず、性能のいい武器や防具を装備して、強い敵に立ち向かえるようにしなければならない。それには、お金がいる。無料プレイ期間が終わるまでにこのゲームの面白さを見つけねば、行動範囲の狭い初期段階でつまずくと、もう後が続かない。
心配は無用だった。CDやDVDの枠から出られないコンシューマゲームと違い、オンラインゲームはゲームの内容が常に進化していく。この世界にエンディングはないのだ。
小さな島から大陸へ渡ると、プレイヤーの店が立ち並んでいた。そうだ、家を買おう。当面の目標が決まった。私の目の前には、ブリタニアの広い世界が広がっていた。

フライデー

初めてインベーダーゲームをやったのは、確か小学校4年生くらいだったと思う。どこかの小さいゲームセンターというか、空き部屋に筐体を置いただけのゲームコーナーみたいなところでやったと思う。初スコアは340点だった。
今の子供達以上に、僕達がゲームにはまったのは当然だった。家は繁華街にも近く、小学校5、6年生になるとゲームセンター通いをするようになった。
京都の繁華街、河原町通から少し入ったところに、フライデーというゲームセンターがあった。大きなゲームセンターで、筐体が4、50はあったと思う。よく杉山君と遊びに行ったのを覚えている。
インベーダーブームは過ぎ去ったが、巷にはいろんなゲームが溢れ始めていた。私が強烈に憶えているのが、トランキライザーガンとムーンクレスタである。
トランキライザーガンは、その名の通り麻酔銃でジャングルに潜む猛獣を狩って得点にする。ムーンクレスタは、いわゆるシューティングゲームで、合体要素が売りであった。レバーは十字、ボタンも一つしかない時代の話である。
ほとんど毎日のように通っていた気がする。普通なら、不良少年への第一歩だったかも知れないが、ただ純粋にゲームがやりたかっただけであって、その辺の分別はあった。手持ちの小遣いがなくなれば終わり。欲望に任せたなりふり構わない連中とは違う。
大人になってコンピュータが発達してくると、エミュレータというものの存在を知った。あの懐かしのゲームが、自宅のパソコンで遊べるのである。私は真っ先に、この二つのゲームをプレイした。今から比べれば、チープで単純なゲームだが、コンピュータゲームが持つ本質は何も変わっていない。
ほんの一瞬だけ、あのフライデーで過した空気が甦ったような気がした。

PSPvsDS

年末のゲーム戦争は既に口火が切られている。今年はドラクエというキラーソフトの発売に加え、各社から新型ハードが発売される。プレイステーションポータブル(以下PSP)とNintendoDS(以下DS)だ。両方ともいわゆる携帯ゲーム機である。
私は、DSの優位性を感じている。ゲームボーイアドバンスの上位互換という点や価格もPSPより安い。しかし、最も注目すべき点はインターフェイスである。
タッチスクリーンを採用し、今までと全く違った遊び方ができるのである。DSのソフトに関しては、タッチスクリーン機能を使用するという前提で開発されたものがほとんどである。十字キーやボタンではできなかった細かい操作も可能になり、それはゲームの奥行きを広げるものである。
しかし、ハードの優位性、CPUがどうの、解像度がどうのというより、まずは面白いソフトありきである。そうなるとPS陣営が有利に思えてくるが、既にPSやPS2でプレイしているゲームを、わざわざ新しいハードを買ってまでプレイするユーザーが果たしてどのくらいいるだろうか。
その点、DSの新しいインターフェイスは、今までどこにも存在していなかったゲームがプレイできる。これはDSの存在意義を深め、購買意欲につながる強力な武器になる。
コンシューマーハードでは、任天堂は敗れ去った。しかし携帯ゲーム機は、任天堂の牙城と言ってもいいだろう。家庭用ゲームはPS、携帯ゲームは任天堂、といった住み分けが、近い将来起こり得ると、私は感じている。