さらば鬼平

時代劇は年寄りの見るものだ。今でも往々にしてそうだろう。
しかし、そのテレビ時代劇を、一つの映像作品にまで昇華させたのが「鬼平犯科帳」だと私は思う。
池波作品の魅力以上に、その映像は実に魅力的だ。
放映当初、私がまだ大学生だったから、その歴史が推し量れよう。
もちろん、このただのテレビ時代劇の魅力に周りの友人も気づいていた。
放送の次の日から「鬼平すごいな」という会話がマジで交わされていた。
映像系の学校とはいえ、二十歳そこそこの若者をも引き込むその魅力。
時代劇も一つの映像作品だということに気づいたのもその頃だった。
そんな鬼平が終わる。
物事には始まりがあれば終わりがあるのは常だが、残念なことに鬼平には大事なものが欠けている。
「次」だ。
鬼平の「次」を担うものがなにもない。
このまま終わらせるわけにはいかない。
時代劇をただのテレビ時代劇に戻してはいけない。
鬼平の「次」を創り出す責任が、我々にはあるのだ。
そうでしょう、御頭。