おかん、暁に死す

脳梗塞で倒れてからもしぶとく生き残ったおかんだったが、とうとう力尽きた。
私にとってはもう倒れたときにおかんは死んでいるので、寂しいのは寂しいが悲しさはあまりない。
おかんとして頼ることができなくなったとき、おかんはもう死んだのだ。
そのことは私を少しだが成長させてくれたと思う。
おかんは死んでも、私の半分はおかんでできている。
そしてたぶん、部屋の天井の隅っこで私のことをじっと見守っているはずだ(ぞーっw
もう一度みなさんに申し上げたい。
保険には絶対入っとけ。

壊れかけのOKAN

8日の夜に、おかんが脳梗塞で倒れた。
ここ数年はずっと乳がんの治療をしていて、この日も抗がん剤を処置してきたところだった。
脳梗塞の範囲は右脳全体に及び、なおかつ一週間ほど前に発症していた脳梗塞も見つかったので、処置は不可能と言われた。
救急救命医と脳神経外科医が言うには、来週までもつかどうかはわからないと。
おかんの死がすぐそこにやってきた。
去年の暮れから一層体調が悪くなって、今年に入ってもしかしたら一年もたないかもなとは薄ら思っていた。
倒れて二日ほどはまだ意識もあり、呂律は回らないがなんとか意思疎通は可能だった。
しかし奇しくも結婚記念日、それも銀婚式を迎えた日、だんだん意識がなくなって、眠ったようにいびきをかくばかりになった。
これはもう最期だと私は仕事を休み、毎日見舞いに行きつつ、家事をこなさなければならなくなった。
そして10日経ち、おかんはまだ生きている。
最近は薄目を開けてこちらの呼びかけに反応するような感じも見受けられるようになった。
しかし、これ以上の回復は恐らくない。
大脳が半分壊死し、左半身は麻痺、がんの進行もまた始まるだろう。
どの道おかんは死へとまっしぐらなのだ。
もうとっくに覚悟はできているし、準備もしている。
その日がいつ来るか、明日かもしれないし、一年後かもしれない。
そんな私からみなさんに言いたいことがある。
生命保険には絶対入っとけ!!
人生は何より金である。つくづくそう思う。
明日の晩飯何にしよう。
おかんってえらいなあ。

料理上手とは

レシピの通りにおいしい料理をつくるのが料理上手と思ったら大きな間違いだ。
料理は材料調達から始まっている。
スーパーに出向き、安い食材を見極めてメニューを考え、栄養のバランスを考え、買い物をする。
おかんがおとんの看病で夕食を作れない今、改めてそのありがたさを思い知った。
そして、料理とは、常に食べる相手のことを考えるものなのだ。
明日は肉じゃが、ほうれん草のお浸し、ワカメの味噌汁の予定。妹よ、買い物頼むぞ。

おかあちゃんはえらい

独り暮らししていたときは、誰も家事をしてくれる者がいないのでやらざるをえなかった。
掃除、洗濯、炊事、嫌いではないが好きでもなかった。
おかんがちょっと検査入院しているので、今その家事を引き受けている。
独りの分をやるにはやぶさかではないのだが、身内とはいえ自分以外の人間がかかわるとまあじゃまくさいことじゃまくさいこと。
晩飯どうしようかなあと結局一日中考えていた。おかげで仕事に集中できなかった。
改めて、おかんのえらさがよくわかった。
世の亭主諸君、及びすねかじりの道楽息子どもよ、いっぺん家事やってみ。